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2017/03/29 少し準備

まとまった時間をつくったので片付けなどに当てる。

しばらくはバタバタしそうなので。

そうだね。proteinだね(メモ)

基本的にタンパク質を多くとり、睡眠時間を長くすることでメンタルは改善する。

 

メンタルは悪循環する傾向があるようなので、ともかくどこかで無理して断ち切る必要がある。

しかし、それをメンタル的な部分で無理するのはより悪化するフラグである。

メンタルがアレだから困っているのにメンタルに無理させるのは無謀だ。よって、食事とか睡眠とかのメンタル要素が少ない部分で無理した方がいい。

 

※睡眠を長くする。あるいはタンパク質を多く摂るのがなんで無理なんだという考えもある。しかし、メンタルがアレな状態だとだらだら過ごして睡眠を取らなかったり、一時的な気分の改善になるからと炭水化物ばかり撮ったりするのは割りとある気がする。

2017/02/21 貴方の側にも異常と狂気

[要点]

・異常も狂気も連続的

・私も貴方もそうであるかもしれない

 

[本文]

 構成や書き方がぱらっぱら変わりますが、いわゆる一部の発達障害的な感じの「思いつき」です。最初が思いつきで書いてるから途中で「あれ? こっちのほうがいいんじゃない?」と思って深く考えずに変えてしまいます。

 発達障害も含めてよく「メンヘラ」といいます。個人的には使いやすい言葉です。きっちりとした意味はわかなくてもなんとなく伝わります。メンヘラという言葉を知っている人には「どっか精神的な問題や異常がある」というのが伝わる上にどの程度おかしいのかはボケてる感じになりますから。~~障害とか~~症とかになると途端に危険視ですよ。人間そんなものですね。

 私自身メンヘラでひどい有様ですし、歪んでいます。それとどちらが先かはさておいて私の周りには沢山メンヘラやそれっぽい人が居ます。

 不思議なことに、そういう人のそこそこは「メンヘラは常人と明確に区別できる」と強く思っている。正確には信仰しているようです。

 彼らはニュースでその手のいわゆる狂気の混じった犯罪が報道されると犯人と自分は明確に違っているという前提で話し、時にはそれを主張する言動をします。

 まあ、そんなわけないんですけどね。私はメンヘラですのでたまに精神科医に診てもらうわけですが、テンプレート的な異常者なんてほぼ見たことがない。皆、程度はあれども受け答えが普通にできて、立ち振舞もエキセントリックではない。許される範囲内かギリギリアウト程度の人がほとんどです。

 

 ここからはすごく端的な表現なので色々と間違っているとは思いますが。 

 

 我々や医者が見ているのは基本的に入出力の関係だけです。こういうことにこういう反応をした。だからこの病気だ、という判断です。しかもそれは主観的な判断です。グレーゾーンのものとか他の病気でも生じうる言動では医者によって診断が異なります。

 ぶっちゃけ、基本的にそういう主観的なもので精神病は確定されます。だから客観的な情報で診断できる技術が求められてるわけです。

 入出力の関係で判断している状態なので、どうしてそうなるのか、という部分、ブラックボックスのような部分はきっちり分かっていないようです。

 たぶん脳内物質のアンバランスだとかだろう。ということは推定されていて、それを前提に薬が作られています。

 だけれどもじゃあそれが完全に認められているかというと微妙なところらしく、だからこそ「精神病なんて製薬会社のでっちあげだ」とか「薬を飲むと逆に悪くなる」という話がある程度の声を持っているのだと思います。

 まあ、アマゾンとかで検索するとそこそこでますよね、そういう本。

 

 しかし、不思議なもので。よく発達障害うつ病とかを「そういうのは誰にでもある程度あるものだよ。気のせいだよ」みたいなこと言う人は「異常者は明確に俺のようなまともな人間とは違う」と思っている人が多い気がします。

 非常に興味深いですね。どうしたらそうなるかはわかりませんが、面白い。

 

 それは「自分は大丈夫」だと安堵したいのでしょうか。それとも単に自分に都合がいいから矛盾したことをいうのも気にならないのでしょうか。

 たぶん、私も知らないところで似たようなおかしな言動をして他人に怪訝に思われているのでしょう。

 

 個人的には、変化次第で誰もがメンヘラになりうるとは思います。そのトリガーとか条件は異なるでしょうが。

 ただ、「自分は絶対にメンヘラにならない」「自分は絶対メンヘラだ」的なのはやめたほうが良さげのようです。その時点で既に視野が狭くなっているように思えます。

 

2017/02/11 加算の人、減算の人

[概要]

 基本的に皆間違っている。そしててきとーなことを言っている。

 その言葉にはある程度の傾向がある。

 

[本文]

 例外も多いし、この「物差し」を使うのがいいかは置いといて。人のしでかしてしまうミスをさっくりと分類すると「やりすぎる」と「やらなさすぎる」というワードで表現できることが多いような気がします。

 まあ、この2つの単語が片方だけ出るというよりは両方出ることも多い気がしますが。

 学生時代、自分もしくは周りの誰かがこんなことをしでかさなかったでしょうか? 「勉強しなさすぎてテストが散々だった」とか「テスト勉強中に息抜きしすぎて散々だった」とか。そういうこと。

 私はひどい間違いをさんざん犯して来たのですが、段々とそういうことを蓄積してくるとなんとなく自分はこういうミスを犯す傾向にあるなあと思うことが少しずつ思い浮かぶようになってきます。

 やりすぎるというのは端的にいうと蛇足です。

 やらなさすぎるというのは怠惰か慎重になりすぎることが原因ということがそこそこあります。

 料理をつくる時、私は知識がなく経験もないので思わず調味料を入れすぎることが多いんですが、これがやりすぎですね。

 逆に「なんか、塩のうっすい味しかしない」みたいな料理を作る下手な人も居るわけで。その人はやらなさすぎるわけですね。

 

 間違いなく偏見なのですが、私自身と周りを見るといわゆる感情的な人はやりすぎてしでかし、感情を抑制しがちな人はやらなさすぎる人が多いような気がします。

 そして、その傾向は割りと一つのしでかしと別のジャンルのしでかしでも同じことも多い気がします。

 蛇足でしでかすやつは他のことでも蛇足でしでかす。

 必ずではなくなんとなくそうかもなあ、程度のものなのですが、自分のしでかす傾向を把握していると少しマシになります。

 なんというか。結局どっかでひどい目にあうんですが、マシなひどい目で済みます。

 

 私はやりすぎるタイプなので、複数のやることを少し短めに順繰りで回すほうがいいという結論に達しました。

 ちなみに、私は発達障害とかいう分類に入ります。そういう人は多くの場合に集中しすぎるが、一度集中すると強いからそれを活かそう。みたいな耳障りのいい言葉がよく関係書籍に書かれています。

 それはまず正しいのでしょう。でも私には間違ったアトバイスだと感じています。私は修羅場というか、集中しないといけないときでも、集中が切れてしまう時はストンと切れます。私は自分がどういう時に集中が切れてどういう時に切れないのか、きっちりした傾向をつかめていません。私は私に対して気まぐれなのです。(それはもしかしたら自己嫌悪から来ているのかもしれませんが、それは置いといて)

 

 一般論は一般論です。そしてメンタルに関する一般論は当てはまらない確率が他の一般論より大きいように思えます。

 使えない一般論より「なぜかわからないがうまくいく独自論」です。人のメンタルは割りと不合理なまでに偏っています。その偏りをたまに意識するとマシな地獄を生きることができます。

 

 相も変わらず、ネガティブです。

 

2017/02/07 前日分追記 私は謝らない

[概要]

昨日の記事は矛盾している。

だけれども、少しは正しい。

 

[本文]

昨日、寝る前に「敵意で気まぐれを起こすのに深い考えがないのはおかしくないか?」と自分で気づいたけど放置しました。

人間、ある程度は矛盾したおかしなことを言います。程度や状況が問題です。個人の覚書だからギリセーフ。

とはいえ、じゃあ敵意なんてないのかといえばそうでもない。要は「特定の誰か」じゃなくて「自分が気持ちよくなれるなら誰でもいい」敵意ではないかと。

焦点は自分にガッチリ合わせている感じです。人なんてそんなものです。メンタルがヘルってると必要以上にその焦点がきっちりしすぎたり、他人にまで焦点合わせようとして結局自分も他人もボケた無駄な結果になりますが。

よく言われる「他人は私を思っているよりも注目なんてしない」的な感じのことです。

ま、あんまり考えるとドツボです。メンタルがGoToHellしないためにはほどほどにしか考えないほうがいいです。

メンタルが危うい状況で考え込んでも最終的に自分が悪いか他人が悪いかしかでないことも多いです。

 

たぶん、必要なのは真実ではなく、そこそこうまくいく入力と出力の関係です。他人の心をぶん殴る原理と同じです。

人間の思考は割りと関数のように同じような入力を入れたら同じような出力が出ます。だから必要以上に考え込んでも同じ考えがめぐるだけです。かといって入力を変えようと他人に相談すれば、相手が悪いとそこで余計なイライラを受けます。

計算の必要な五択の試験で、候補が大きく違っていたら厳密な計算は必要ありません。値をざっくりとしたものにしてとりあえず合っている答えを出せばいい。

 

だから、「気まぐれをしてくるやつの中には攻撃的な奴が居る」ぐらいで止めておくのが最善だったのかもしれません。どうしてそうなのか、どういう経緯でそうなったのかとか考えて仕方ないです。

心を殴ってくる相手はよほどのことがないと殴るのをやめません。私も他の誰かも。だから進んで近づいて殴られるのはアホらしい。

 

まー、最近は睡眠をキメてないので思考がドロドロでてきとーです。このあたりでぶつ切りにします。

 

関係ないですが、睡眠は本当に大事です。メンタルがヤバイと自制心が減ります。削れます。そうすると眠いけどちょっと楽しいからネットする、でガンガン睡眠時間削ってメンタルが悪化します。悪循環です。

仮眠とかとるのもいいかもしんない。

2017/02/06 追記 人を殴る時、ろくに考えたりしない

他者 自己 ネガティブ

単なる自分用の覚書です。すべて。

 

[概要]

気まぐれで心理的に人をぶん殴る時、特に深く考えていない。半自動的。

 

[本文]

前回の続き。

人の気まぐれな行動、特に本人にデメリットがあるような選択をする時、その一部は相手への敵意があることもある。

その敵意は相手を心理的にぶん殴る(否定する)ことで自分の相対的な価値を高めて自分を慰めるため。というときもある。(仮定だらけだど)

じゃあ、その時にどこまで考えてそんな行動をするのか。たぶん、大抵の人は特に深く考えていない。殆どの人は、私も含めてデメリットのある気まぐれを行ったことがある。それも複数回。じゃあ、その時、敵意がメラメラだったか? そんなことはない。正直そこまで意識してない。

人を攻撃する時、悪意があるとは限らない。単にそのほうが気持ちいいから。そんな理由で攻撃することもある。

気まぐれなどの種類の攻撃、心理的にぶん殴る行為はあまり意識的な行動ではない。

端的にいうと、どういう経緯、目的があるかなんて自分でもそんなに考えない。ただ、「攻撃をすれば自分が気持ちいい」という入力と出力の関係を感覚的に把握しているのではないだろうか。だから細かなことは考えず、こうすれば気持ちいいからとりあえずやろう、ぐらいの気持ちで人を攻撃する。

ある意味で寝るときの姿勢と同じだ。こうするとなんか一番気持ちいいからそうする。自分の腰が悪いとか猫背だとかそういう理由や経緯までは考えない。

 

ひどいことをした方はあっさり忘れて軽く考える。されたほうは深く覚えている。それも似たような原理だ。

した方は気持ちいいのでやるだけ。深く考えない。なんとなくだから軽く見る。

された方は快ではなく不快で、気持ち悪さだけが残り理不尽さが強調される。

ある意味で攻撃的な行動というのは相手が憎いというより自分が可愛いからする行為なのかもしれない。

 

結局、深く考えずにやるから同じ気まぐれを繰り返す。だからその繰り返しで自分や周囲の人の攻撃性を少しだけ判断することができる。

 

[メモ]

最近、メンタルが歪んでいる気がするからこういう思考をするのか、と思うこともかなり。

ネガティブもほとほどが一番。