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2017/02/06 追記 人を殴る時、ろくに考えたりしない

単なる自分用の覚書です。すべて。

 

[概要]

気まぐれで心理的に人をぶん殴る時、特に深く考えていない。半自動的。

 

[本文]

前回の続き。

人の気まぐれな行動、特に本人にデメリットがあるような選択をする時、その一部は相手への敵意があることもある。

その敵意は相手を心理的にぶん殴る(否定する)ことで自分の相対的な価値を高めて自分を慰めるため。というときもある。(仮定だらけだど)

じゃあ、その時にどこまで考えてそんな行動をするのか。たぶん、大抵の人は特に深く考えていない。殆どの人は、私も含めてデメリットのある気まぐれを行ったことがある。それも複数回。じゃあ、その時、敵意がメラメラだったか? そんなことはない。正直そこまで意識してない。

人を攻撃する時、悪意があるとは限らない。単にそのほうが気持ちいいから。そんな理由で攻撃することもある。

気まぐれなどの種類の攻撃、心理的にぶん殴る行為はあまり意識的な行動ではない。

端的にいうと、どういう経緯、目的があるかなんて自分でもそんなに考えない。ただ、「攻撃をすれば自分が気持ちいい」という入力と出力の関係を感覚的に把握しているのではないだろうか。だから細かなことは考えず、こうすれば気持ちいいからとりあえずやろう、ぐらいの気持ちで人を攻撃する。

ある意味で寝るときの姿勢と同じだ。こうするとなんか一番気持ちいいからそうする。自分の腰が悪いとか猫背だとかそういう理由や経緯までは考えない。

 

ひどいことをした方はあっさり忘れて軽く考える。されたほうは深く覚えている。それも似たような原理だ。

した方は気持ちいいのでやるだけ。深く考えない。なんとなくだから軽く見る。

された方は快ではなく不快で、気持ち悪さだけが残り理不尽さが強調される。

ある意味で攻撃的な行動というのは相手が憎いというより自分が可愛いからする行為なのかもしれない。

 

結局、深く考えずにやるから同じ気まぐれを繰り返す。だからその繰り返しで自分や周囲の人の攻撃性を少しだけ判断することができる。

 

[メモ]

最近、メンタルが歪んでいる気がするからこういう思考をするのか、と思うこともかなり。

ネガティブもほとほどが一番。

2017/02/06 気まぐれは罠

[概要]

「気まぐれ」というのは時に敵意や軽視から生じることもある。気まぐれをする相手の利害関係に関わる行為は少し慎重に。言葉を疑ったほうがいい。

 

[本文]

 あくまで個人的な偏見で、妄想地味た意見ですが。

 気まぐれな人というのは割りと「マイペース」なイメージが有ると思います。

 もちろん、そういった方もたくさんいます。穏やかな性格の人もいっぱい居ます。

 ですが、私の周りにはそういう人ばかりではない。私も気まぐれな時がありますが、それはマイペースから来ているわけではなかった。

 

 気まぐれというのは要するに「自分の意思でそれがうまくいくかダメになるかを左右できる」ということです。そしてその気まぐれに誰かが振り回される。

 これは相手を支配している状態に似ています。無論、気まぐれをすれば多くの場合、損失は自分に襲い掛かってきます。だけれども、相手を左右できるという「心理的な満足感」は残ります。

 言い換えると「自分がひどい目にあうけど、相手を心理的にぶん殴れる」ということです。

 想像してみて下さい。提出すべき書類などをなんとなくやり切れないことを相手に言ったらどんな顔をするか。少なくとも喜びはしません。ネガティブな感情を出します。そんなこと分かっています。殆どの人は。

 つまり、気まぐれな行動をする時、人はその結果をある程度推察できます。他人がどう思うか推察した上で気まぐれな行動をするんです。

 じゃあ、なんでそんなことをするのか。それは相手にネガティブな感情を与えたいという敵意やあるいそんなことどうでもいいという軽視です。

 無論、それ以外の理由もたくさんあるし、嬉しい気まぐれと言うのもあります。

 

 だから一般化はできませんが、そういうこともある。ぐらいには思っておいていいのではないでしょうか。

 

 そして、もし相手がそういう敵意などから気まぐれをする人だったならば。発言が気まぐれで実際の状況では真逆のことを言う、なんてことも考えられます。

 他人をぶん殴って気持ちよくなりたいという人間は他人が憎い、とは限りません。世の中には「自分を癒すために他人を傷つけて相対的な価値を上げたい」という人間が沢山いるし、追い詰められれば一時的にそうなってしまう人も居ます。

 そういう人にとって一度自分発言した言葉に反していても相手を攻撃できる自体が生じたらそれを利用したくなることも多い。

 だから気まぐれな人の寛容さは話半分に聞いたほうがいいです。人によっては平気で自分の記憶を改変します。あるいは自分の非を0として喜々として相手を攻撃します。

 

 もちろん、誰だって気まぐれをします。そしてそれが敵意からとは限りません。

 しかし、理由もなく都合の良い方向に進むと考えるよりは一応、悪くころんだときのことも考えたほうがマシな事が多いです。

 大抵の場合、人を心理的にぶん殴るのは癖になります。自分が変わることなく相対的な価値を高められるからです。だからぶん殴るための気まぐれをする人は繰り返しやります。そういう人にはちょっとだけ気をつけたほうがいい、という話です。

 

 

 

 

2017/01/23 「私は悪くない」の考察

結論

 「私は悪くない」あるいは「あいつが悪い」。更にいうと他人が正しくないからイライラする。そういう時は精神的に参っているので、対策を取る必要がある。

 

 

本文

 他人が間違ったことをしている。特定の誰かが悪い。あるいは単に自分は悪くないと強く考える。こういう時、私の中で、あるいは周囲のそういう言動を取る人がどんな状況で他のどんな特徴があるかをしばらく観察してみた。

 どうもそういう時、心中にあるのは「自分を否定されたくない」という気持ちのようだ。言い換えると自分の価値が低い方へぐらつくようなときだ。

 そんな時、自分の正しさを確信する。誰かの過ちを確信するというのは一時的な自尊心の補給につながるようだ。

 たぶん、相対的なものだろう。自分は正しいので価値があがる。他人は間違っているから価値が下がる。だから私の価値はよりあがる。

 言い方は悪いが、とにもかくにも飢餓状態なので健康など考えずに適当にジャンクフードを食べるのに似ている。ひとまず「自尊心」という欲を満たすのが最優先なのだろう。

 しかし、それは一時的なもの。当然ながら自尊心がぐらつく原因はそのままなのだから。だからやがてまた同じような原因で自尊心がぐらつく。そして誰かを否定する。

 そうやって中毒のように他者が悪いを思い続ける。

 どうしてそんなふうになるのか。

 考えてみたが、結局のところ楽なのだ。努力はいらない時間もかからない。リスクや責任を取ることもない。短期的にはとても効率がいい心の安定化方法だ。

 うまく表現できないが、被害妄想が強い人ほどこれにすがってしまうことが多いように感じる。それはもしかしたら自尊心のぐらつくような嫌な思いを認識するのが重要でそれが事実であるかはそこまで重要でないからかもしれない。

 

 私の周囲にはそういう人が数人居る。私自身も精神状況が不安定なときなどはこの傾向が強くなる。

 今のところ解決策は明瞭ではない。ただ、疲労が与える影響は大きいと感じている。特に睡眠だ。寝ないとダメだ。

動かないとだめな人

世の中には、何かイベントをこなさないと退屈でしょうがないというタイプの人がいる。たぶん私もその一人だ。

父は私以上にその気がある。たぶん、器質的な問題が影響しているのだろう。

 

正直、生まれによるそういう傾向は直接の原因でなくても間接的に多くの不利益を生み出している気がする。

2016/12/26

心に余裕が無いと以下の傾向が出やすくなるのでは?

 

・自己主張(いわゆる「声が大きい」状態)

・他者の否定(攻撃的)

 

要するに自分が重要である、正しい存在だと実感するためにそういうことをするように思われる。

ちゃんと妥協してる?

妥協は必要。重要。

それを悪いイメージでしか言わないけど、際限のない追求は効率の悪さと破綻を招くだけだ。

 

それなのに妥協をネガティブに捉える時というのは自分と他人のどちらかが原因だ。

 

自分の場合は完璧主義に陥ったり、求めるべき水準を間違えて居たりする。

他人の場合は少し複雑で、自分のときと同じ原因に加えて、「自分がやらないから無茶を言いう」という場合もある。言うだけなら責任を取らなくていいからだ。それで相手が失敗しても努力が足りなかったといえばそれでいい。

 

結局、少し遠くから自分を含めた状況を確認した方がいいのだろう。